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アルコール依存症に向けて(4)

小学校5,6年生の時、父は岡山へ単身赴任、母と私たち兄弟は、箕面市で暮らすという生活があった。4年生の時に私たち家族は大阪市東住吉区から岡山市に転居したのであるが、私たちが岡山に暮らしていたのは1年間のみで、5年生から私たち母子は箕面に転居したのである。建前上の理由は私たちの受験のためということであったが、それならわざわざ箕面の田舎(箕面市の方ごめんなさい)に行く必要はない、父は悪く言えば浮気、よくいえば独身生活を楽しみたかったのである。
岡山での生活は楽しかった。岡山市といえども周りは一面稲田やいぐさの田んぼで、子どもたちは地区ごとに小学校1年生から6年生までみんな一緒になって遊んでいた。私たちが引っ越しした当日、近くの◎◎君が、私たちの家の前まで走ってきて、「みんなで一緒に学校行こうのう」と叫んで、そのあと走り去って行ったことから分かってもらえると思う。私たちの地区の小学生は、一緒に遊べる仲間が増えることを喜び私たち兄弟を最初の日から受け入れてくれたのである。小学校4年生の時は、大勢の友達と一緒になって遊べ、非常に楽しい時期であった。
ただ岡山でも、楽しいのは夕刻まで、父が家に帰ってくるとその楽しみは終わった(家にいると前の道を通って駐車場にはいる車の振動音で、父が帰ってきたことがわかり、胃が固くなったものである)。私たちは彼がくつろいで酒を飲むのに邪魔な存在だったのであり、私たちにとってはうるさいアル中のお帰りなのであったのである。
そのため、父が単身赴任という形をとった小学校、5年生から6年生のころは天国であった。
昼間は友達たちと遊び帰ってきてもうるさいことをいう父は存在しなかったからである。
 中学1年生の1学期の中頃、父は私たちのもとに戻ってきて、私たちは、神戸市灘区に引っ越しをすることとなった。私は神戸市須磨区の生れであるから、生まれ故郷の神戸市に再び戻ってきたのである。
 土地は、父の祖父が父に譲ったもので約100坪ほどあったが、金のない父には小さなプレハブしか建てられず、私たちはその家で暮らすこととなった。
 その頃のことである、私が中学1年生か2年生の頃、私が散歩用の犬が欲しいといったところ、父が岡山時代に知り合ったブリーダーから、柴犬を取り寄せてくれた。
岡山から神戸の三宮まで木箱に入って送られてきた犬は、とてもかわいくて、私は彼に敢太郎という名をなずけた。今の私のハンドルネームの「かんた」は、彼から頂いたものである。
スペルボーン(Spellborn)