アルコール依存症に向けて(5)

中学校、高校生の時は、それなりに快適な生活を送っていたと思う。小学生の時には、父と母のけんかに対してはどうしようもなかったが、父より身長は低いものの、体力が付いてきたため、けんかになれば、父を抑え込めるようになった。父もどういうわけか弟より私の方を上に見ており、尊重する姿勢を示すようになってきた。
私は対外的には大した存在ではないが、家の中では、アル中の父親に苦しめられるばかりの存在ではなくなってきていた。
そうしたところで、大学受験となったのである。
よくは覚えていないが、父は私の受験が近づくにつれ飲酒量が増え、暴れるようになり私には受験どころではなくなった。
ただ前述したように現役での合格は期待していなかったので周りより本人はあまり気にしていなかった。
で、不合格、そうしたところ父が京都への下宿の話を持ちかけてきたのである。
自由になれることは魅力的であった。
それに当時は私も勉強しようという気もあったのである。父のもとを離れられることそれはそれは望ましいことであった。
下宿先は、京都市左京区白川通ぞいの小さなワンルームマンションであった。
哲学の道や銀閣寺の近くである。
下宿してしばらくは予備校に律儀に通っていたと思う。
でも私の記憶では、7月頃には、友達もできていたのですが、予備校通いをさぼりだしたように思う。
予備校の女性職員に、さばっていることを親に通知しないですよね、と冗談めかして尋ねたことを覚えているからでいる。
それでも8月には夏休みの特別授業を受けていた。中でも英語の授業のうち本を一冊読むというものがあり、その量から予習は到底出来ず、頭から英語を読んでいく習慣が身についたと思う。この習慣がなければ、次年度の私の大学合格はなかったと思う。
私の誕生日は8月8日である。
それでたぶん予備校の夏季特訓が行われている間に、19歳になったはずである。
その頃のことである、私と同様というか、私が浪人すると言ったのに誘われて、浪人生となった、中学から高校にかけての友人が私のマンションに訪ねてきた。
私は高校生の頃はかんたろうの散歩にかこつけてウイスキーを買っていたのであるが、浪人してからは酒を飲んでいなかったと思う。
それが、この友人の来訪をきっかけにして毎日飲酒することになったのである。
つづく

なおこのブログは、私の恥ずかしい生き方を話すことになるので、今のところ2名の知人にしかURLを知らせていない。
にもかかわらずブログという形式で自叙伝を書いているのは、過去を公開しても恥ずかしくないと言えるレベルまで自己研鑽を行いたいと思っているからである。
「アルコール依存症に向けて」の章が終われば、「司法試験を目指して」という章が始まり、その後、時間を飛ばして、現在の自分を語っていき、それに自信が持てれば一般に公開する予定である。
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スペルボーン(Spellborn)