カテゴリ:自転車( 13 )

そんなこんなで、妻も自転車に乗れるようになってきた。
私は自分の経験から段差のあるところには段差に垂直に自転車を乗るようにと忠告などした。
私自身の経験で浅い角度に段差に乗り上げようとしたところこけたことがあるからだ。

妻のマンションの近くを回って、実質的に自転車にうまく乗れるよう鍛え上げた。

公園の上にはグラウンドがあって、私は棒でスラロームしなければ走れないように線を書き、それに沿って走るよう訓練した。自分でも走ってみたがふらついたので結構きつい訓練をしたと思う。

訓練の最終は、明日香村でレンタサイクルを借りて、明日香村一週であった。

車で明日香村まで行き、双方がレンタサイクルを借りて、もらった案内図に沿って明日香村を走った。

ただ彼女はアトピーであり紫外線に弱いので、途中で顔が浅黒くなりいかにも調子が悪そうになった。

大丈夫かと聞くと大丈夫という。

それでもペースを相当落とし、明日香大仏などを見学し、出発点に戻ってきた。

彼女は、乗りきったことが相当嬉しかったのであろう。嬉しそうに自転車を漕ぐ足を速めた。

以上を持って元妻の自転車訓練は終了した。
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by kanta5988 | 2009-07-11 16:16 | 自転車
さて、前回述べたように、3週間もすると妻も自転車に乗れるようになってきた。

しかし、歩道を走らせた場合電柱があると、その隙間を通り抜けることができず、ハンドルから手を放し、電柱に抱きついてしまう。

自信を持って走らせるためには何度もその道を繰り返し走った。

そうしているうちに妻もだいぶ自転車に慣れてきたと思ったので、公園内の階段状の道を降りさせてみた。

しかし、まだ早かったのであろう。妻は途中でハンドル操作ができなくなり、ばたんとこけてしまった。

私はしまったと思い、あわてて妻の元に駆け寄ると妻は手から血を流している。

そこでとりあえず手を洗える場所を探して、公園内を探した。

その際、高校生らしき男女4名が、おじさん、自転車の練習をしているの?おもしろい?乗ってもいいと近づいてきたが、私は妻の手を洗うことが先決であったので、乗りたければ乗ってもいいよ、言い捨て、水道のある場所に向かい、妻の手を洗った。

手を洗い、傷がそう深いものではないことを確認して、元の場所に戻ったのであるが高校生らしき連中は私が必至の形相をしていたせいであろう。自転車は素直に返してくれた。

そこで再び自転車の練習を始めたのである。
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by kanta5988 | 2009-07-07 16:24 | 自転車
そのようにして購入した自転車もやがて乗らなくなった。
私の自宅が高台でえっちらおっちら漕いで上がるのが面倒くさくなったからだ。

私が、自転車に再び乗り出したのは、別れた妻が、自転車に乗るのを教えてほしいと言ってからだ。

その時にはとっくに別れていたのであるが、よく合うようになっていた。

どうした機会かは忘れたが、元妻が自転車に乗りたいと言ってきたのである。

私の自宅には、先日のプジョーの自転車と父がこれまたどういう風の吹き回しで買ったのか分からないが、黄色の小さな折り畳み式の自転車があった。

この小さな自転車なら乗ったままで両足も付けるし怖くはないだろうと思い、妻のマンションまで持って行きとりあえず載せてみることとした。練習場所は妻のマンション近くの公園である。

もちろん最初は全然乗れない。

後ろを私が支えても、すぐに両足をついて止まってしまう。

しかし私は前に述べたように自転車に乗れるようになったのは小学生4年生の時だから、私自身が乗れるようになっていった顛末をよく覚えている。

妻が乗れるようになるのは絶対であった。だから公園の中を何度も後ろを支えながら自転車に乗る練習を続けた。

練習は週末であったと思う。

2、3週間もあれば妻は一人で漕ぐことができるようになった。こうなれば、私のこれまでの経験を教え込んで公道をきちんと走らせることができるよう訓練させるだけである。

最初は、私は、妻の自転車の横を走りながら、アドバイスしていきながら走った。

しかし、妻が慣れてくると、私が横で走るのがしんどくなっていった。

そこで私は、自宅から妻のマンションまでプジョーの自転車を走らせ、妻のマンションの自転車置き場に自転車を置き、週末に自転車で横についてアドバイスしながら走ることになった。

元妻はもう自転車でないと就いてこられない?とちょっと自慢げに私に話したのを覚えている。
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ハバネロです。
こいつを利用して久しぶりに手作りカレーを作ってみるかな。
さぞ辛い奴ができるでしょう。
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by kanta5988 | 2009-06-29 12:33 | 自転車
前回書いたとおり、東京時代の自転車についてはよく覚えていない。

神戸に戻ってからは、神戸は坂の多い道であるので、自転車を利用しようと考えなかった。

でもある日、自転車が買いたくなって、自転車を探し始めた。

要件は、ママチャリでないこと。変速ギアが自宅にいたる道で途中で押して歩かなくてよいほど、多段階であることであった。

その要件を満たしていてなおかつかっこのよいものというものを探したところ、フランス製のプジョーの自転車を発見した。

緑色の自転車で見た目も悪くない。

そこでその自転車を買うこととした。当時は独身であったし、司法研修所から給与もいただいていたので、私でも十分購入することが可能であった。

で、私は生れてはじめて外国産の自転車を手に入れたのである。

自転車についてはまた明日、この自転車のカテゴリーは最終的に別れた妻のカテゴリーと一致する。

どちらのカテゴリーにしようと悩んでいたが、自転車で統一することにした。

なお本日の体重であるが昨日は事務所で寝たので測ることができなかった。

今日も事務所で寝る予定であるので、明日も多分報告できないであろう。

体重は来週以降着実に減らしていこうと思っています。

二郎さんには負けられない。え、すでに負けているって?
うん、負けています。彼のブルトーザーみたいな実行力は私にはないです。
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by kanta5988 | 2009-06-27 13:14 | 自転車
大学に入学したころは、自転車に乗っていなかった。

いつ頃からまた自転車に乗り出したのかも覚えていない。

いつごろかどこかの自転車ショップでショップメイドのサイクリングカーを買った覚えがある。

私が三田に住んでいた時代であろうか。

私は東京ではもっぱら長距離の散歩をしていたので、自転車については覚えていない。

覚えているのは東京タワーの近くの八百屋で店から飛び出してきた犬を引いたことと。

警視庁で自転車泥棒と間違われて職務質問を受けたことくらいである。

後者の職質についてはすでにどこかに書いた覚えがするのでもう書かない。

犬は、歩道をスピードを出して走っていた時、突如、横から犬が飛び出してきて、足か体かがスポークの間に挟まれてしまったのである。犬は、キャンキャン泣きながら、八百屋の奥に逃げ込んでいったが、こちらはけがをしなかったかどうか気になって、八百屋に入って行った。それで「犬、大丈夫ですか」と声をかけたのであるが、八百屋のおかみさんは、どうってことないって、飛び出すのが悪いのだからといって、こちらに文句をつけようともしない。
そこで、気になりながらも、八百屋を後にした。

あと自転車でどんなところを走っていたかは覚えていない。

東京ではただひたすら歩いていたことしか覚えがないのである。
またその時買った自転車をいつどのように処分したかも覚えていない。

次は司法試験に合格して神戸に帰ってからの話である。

(体重も計っていないし、食べたものをかかないのも何か気が抜けたような気がします。リバウンドしそうだなあ。)
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by kanta5988 | 2009-03-23 12:43 | 自転車
しばらくぶりですが、カテゴリ「自転車」を再開します。

ヘビスモさんもおっしゃられている通り、中、高生として神戸に住んでいる時代は、徐々に自転車に乗らなくなりました。

中、高生時代と言えば、今のニックネームであるかんたの元となった柴犬「かんたろう」がいた時代です。
お金がなく建物は小さなプレハブ、敷地だけは100坪あった時代のことです。
車は中古でした。でも詰め込めば4台は駐車で来たと思います。
かんたろうは夜は庭中を走りまくっていました。

中学生時代は、まだ、自転車に乗っていたのですが、高校生になると到底自転車では高校に通えなくなりました。そこで通学の基本はバス、ある時代は徒歩で通っていました。

それで高校生時代は、自転車とは全く縁が切れたのです。

自宅の桃の花
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by kanta5988 | 2009-03-21 21:21 | 自転車
前回の話では箕面時代を話すつもりであったが、自転車の話は、箕面から神戸時代にかけてはよく覚えていない。
そこで神戸時代に話は飛ぶ。
箕面時代までは、住居は賃貸であったが、神戸時代には、一軒家の住宅になる。
祖父が父に神戸の土地を譲ったからである。
ただし父はアルコールとギャンブルでお金がなかったから、100坪ほどの譲り受けた土地に、当時はやり始めた貧弱なプレハブの家を建てた。
私は、中学生になっており、その1年生の1学期後半に箕面から神戸に引っ越しした。
神戸は山と海に囲まれた狭い土地で、坂道があちこちにある。
私はいつの間にか親しくなった友人たちと神戸の街を走っていたが、辛くて自転車に乗ることは徐々に減っていった。
中学生時代には乗っていたであろうが、高校生になり付き合う友人も異なると徐々に自転車に乗らなくなっていった。

つづく

新たなカテゴリーを作らなければいけないかもしれない。

少なくとも自転車と別れた妻の話は完全に重複する。
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by kanta5988 | 2008-09-05 15:27 | 自転車
しばらく以前、私は、岡山で小学校4年生になって初めて自転車に乗れることを話しました。

が、岡山時代は1年間だけで、私たちは、父を岡山に残して、大阪府箕面市に引越しすることになりました。
公的な理由は私たちの受験のためということでしたが、箕面は当時はやはり田舎ですし、特に塾へも通いませんでしたから、私たちが箕面市に引越ししたかったのは、父が単身岡山で浮気をしたかったからだとひそかに今でも思っております。

まあ父の意向はともかく、アル中であったであろう父の存在しない箕面での生活はやはり楽しいものでした。

自転車ももちろん乗りました。今から思うと子供じみたふるまいですが、自転車の荷台にウインカーと取り付け、速度計も取り付けた自転車で、いろんなところを走りました。

特に覚えているのは、箕面の山に自転車で登り、帰り道は思い切りこいで、スピードの限界に挑戦したことです。スピードの限界といっても子供用のチャリンコ、スピードメーターの針も上限時速60キロメートルです。

でも私は、針が振り切れるまで帰り道を飛ばして走っていました。

今考えると危ないことだったと思います。

ただこけただけで大けがだったと思いますし、対向車線の車とぶつかっていたら命の保証はありません。

でも、私の子供のころはゲーム機もないし外で遊ぶのが当然だったのです。

箕面時代のことはつづく
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by kanta5988 | 2008-09-03 13:11 | 自転車
岡山時代には探検と称して、いろんな場所に自転車に乗って行った。
その軍資金として、父親の車の駐車場の下を掘り、肝油ドロップの缶に50円玉とか100円玉とお金をため込んで、使用していた。

その缶はいまだに所持している。中には小学校1年生の頃に祖父からもらった東京オリンピックの100円硬貨や、10円だと勘違いしラッキーと思って拾ったけどたけど、一銭硬貨だったから、使えなくて悔しい思いをした硬貨などがまだ入っている。穴空きの五〇円硬貨や昔の一〇〇円硬貨も残っている。

岡山時代は本当に楽しかった。

岡山は小学生四年生だけだったが、次に引っ越しした大阪府箕面市も、アル中の父が岡山へ単身赴任したこともあり、厄介ものが消えてすごく楽しかった時代である。

つづく
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by kanta5988 | 2008-06-20 17:26 | 自転車
東住吉区から岡山市になった時に、自転車は解禁された。
当時は岡山市といっても周りは田んぼやイグサの畑一面である。ここでは危なくないということで、早速自転車に乗るための練習である。三日ぐらいで乗れるようになったと思う。

そこに最初の試練が襲ってきた、なんと隣村で天狗祭りがあり、わが村からも自転車で赴くこととなったのである。

別に隣村に行っても嫌がらせを受けるわけではない。私にとって一番重要なのは、幅一メートルほどの農道を自転車で走らなければならない点である。

自転車初心者にとってどんなに怖かったことか。隣村に行っても隣村のガキどもが私の走りようを見て、見ろ、あいつ自転車も乗れないぞと馬鹿にする。おまけに天狗になったお兄ちゃんからは頭を殴られる。散々な目にあったお祭であった。

でもこれで自転車に乗ることについては自信がついた。
こどもは慣れるのが早いものである。
その後一週間後ぐらいには片手で運転できるぐらいには上達していた。
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by kanta5988 | 2008-06-17 22:58 | 自転車
スペルボーン(Spellborn)