カテゴリ:犬( 3 )

小学校3年生までは大阪市にいた私であるが、小学校4年生の時、父親の仕事の都合で岡山市引越しすることになった。私が東住吉区にいた時代も、私の家から少し離れると田圃、畑が広がっていたが、岡山市はあたり一面、稲とイグサの田んぼだった。

家は、横向きに並んだ一軒家が5,6軒並んでおりその奥に駐車場があった。

東住吉区では、犬が殺されたこともあり、それ以降、犬を飼ってもらえなかったが、岡山となると話は別である。それぞれの家の間は小さいながらも庭となっており、そのスペースに犬を飼うことができた。

そこで私は犬を飼いたいと父親に頼んだ。父親が連れて帰ってきたのは秋田犬の子犬であった。

我が家で初めての血統書つきである。血統書を見ると〇〇姫、〇〇丸とお姫様かお殿様の名前のような名前が並んでいたが、我が家の愛犬のところには次郎とあるだけである。そう名前は次郎と名づけた。血統書上だけを見るを明らかに名前が貧弱であることが小学生である私にもわかった。
ちょっと悲しかったが、次郎はいい子であった。

散歩には連れて行ったであろうが、どこをどう通ったのかは覚えていない。
ただ周りは一面田んぼだらけである。散歩道には苦労しなかったはずである。

次郎について覚えているのは2点だけ、それ以外は記憶にない。よほど岡山での友達と遊ぶのが楽しかったのであろう。
c0141627_16533477.jpgその一つは給食で出されたレーズンパンからレーズン部分を取って、次郎にあげていたことである。私は当時、レーズン味は好きだったのであるが、レーズンそのものは嫌いだったのである。なぜ嫌いになったかは後日母親から話を聞かされて分かった。それは私が幼少のころレーズンを一袋食べてしまい、おなかが痛くなって、レーズンを食べたことを散々怒られたことにあるらしい。怒られたことをすっかり忘れてしまった私は、レーズン味は好きでも、レーズンそのものは嫌いになってしまったらしい。そこでレーズンパンが給食に出るとパンを持ち帰って、レーズン部分のみ次郎にやり、その他の部分を食べていたのである。

あともう1点、次郎について覚えているのは、彼が極度な車嫌いであったことだ。
車に乗せるともう大変、はぁはぁと息をつき、口からはよだれがたら~と流れ落ちるのだ。
だから車はしばらくすると彼の唾液だらけになる。

(つづく)箕面編
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by kanta5988 | 2009-03-25 16:56 |
私は神戸市須磨区で生まれたのであるが、そこでは昨日書いたボギーがいた。
ただ私が2歳頃、大阪市住吉区に引っ越したところは、文化住宅の2階であったので犬など買えなかった。
私の家で再び犬を飼い始めたのは、大阪市東住吉区に引っ越ししてからである。そこの住居はは父の会社の人が住んでいた2階建ての一軒家だったので犬が飼えた。
そこにはまず白犬が迷い込んできて母がハムをやったら居ついてしまって、何度犬を放しても元に戻ってくるので、とうとう飼うことになった。名前は白犬だから「しろ」、よく炬燵に潜りこんでいたのを覚えている。父親が鼻の上にクッキーを載せたら、よしと言うまで食べなかった。そしてよしというとうまい具合にクッキーをくるりと鼻の上で回して食べていた。
この犬は家の目の前を走っていた近鉄電車に轢かれてばらばらになったそうである。子供だったから詳しいことは聞かせてもらえなかった。遺体も見せてもらっていない。
他に私の記憶によると他に2匹の犬がいた、母親に聞いても、覚えていないのであるが、一匹は茶色の大きな犬で、餌を食べようとしていた時に、弟が近づいたら、弟を噛んだので、父が怒って、車で犬を大阪の長井公園に行き、捨ててきてしまった。アル中はろくなことをしないものである。
あと母の記憶にはないが、もう一匹の犬を飼っていた。この犬は、行方不明となり、最終的に近所の路地で血だらけの首輪が見つかった。この犬は多分殺されて釜ヶ崎で焼き鳥になったのだろうと私は聞いている。今横にいる母はこのことを全然覚えていないが事実である。母の記憶が不確かなので私も犬を飼った前後関係は思い出せない。
ともかくなんやかんやで東住吉区に住んでいた時の大半は、犬と一緒だった。

つづく(岡山編)
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by kanta5988 | 2009-03-25 01:08 |
私が生まれる前に、両親はボギーという犬を飼っていました。
ですから、私が生まれた時には既に犬を飼っていました。
犬の名前は、ボギーでした。ただ名前はボギーですが雌犬だったようです。
ボギーは私が赤ん坊だった頃、知らない人が来ると唸って私を守っていてくれたようです。
両親が結婚してしばらくして住吉区のアパートに移り住むことになり、ボギーは叔父の家で買われることになりました。しかし、ボギーは何度ももとのうちに帰ってきたため、最初の家の大家さんが飼ってくれることとなりました。わたしは3歳頃、その大家さんの家に、ボギーに会いに行った覚えがあります。
ボギーの名付けの元となった『ボギー大佐』(ボギーたいさ、Colonel Bogey March)とはケネス・アルフォードが1914年に作曲した行進曲でして、アルフォードの代表曲で日本でも学校の運動会などで演奏されるため、非常に有名な曲であります。また、映画『戦場にかける橋』においてマルコム・アーノルドによって編作曲され、『クワイ河マーチ』として世界的に知られるようになった曲です。



この歌ないし映画は誰でも知っているでしょう。
私が犬好きなのはこの子供のころの体験が大きいでしょう。
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by kanta5988 | 2009-03-23 20:59 |
スペルボーン(Spellborn)