カテゴリ:人生( 9 )

『子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。』              (為政編)

私は今年天命を知るはずなんですが、まだ立ってもいません。
立つのは55歳、60歳には迷わずとなりたいです。

弁護士としてどこまで生きていけるのか不安でなりません。
倒れずにうまく生きていけるといいのですが。
しかし、23歳頃にアル中になってから何とかやってこれたのだから、
これからもやっていけるだろうと、思い込みたいです。

しかし不安は不安です。
大企業の職員や公務員がうらやましいです。

23歳くらいのころ、弁護士ではなく公務員を目指せばよかった。

検察官にもなれた機会はあったのですが、これは放棄してしまった。
検察官になっていたらアル中からの回復も早かっただろうにと思います。惜しかった。

まあぐだぐだ言っていてもしょうがありません。少しでも売り上げを増やして収入を安定させるしか道はありません。

でも宝くじは買うけれど・・・当たれば楽になるだろうというのが私の夢です。

次は「春爛漫くじ」4月1日 水曜日から全国で一斉発売です。

当たれば前後賞合わせて一億円、ああ、一億円あればどんなに楽だろう。

しかし、論語と銘打ちながら論語とは全く縁のない繰り言だなあ。
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by kanta5988 | 2009-03-26 21:12 | 人生
皆様お祝いの言葉などありがとうございました。
これで50歳に向けてカウントダウンし始めました。
49歳を記念して、兵庫県北西部にある湯村温泉という小さな温泉街へ行ってまいりまいりました。特に湯村温泉でなければならないということはなかったのですが、落ち着いた温泉でこれからの人生を考えたかったのでそうしました。

私は50歳からが私の本当の人生だと考えています。
0歳から19歳まではほとんど何もしない時期。
19歳から49歳まではアルコールの影響でまともに仕事ができない時期でした。
今日を限りに私は、仕事に趣味にと人生の後半に向けて最初の10年は勉強、あとの余生は勉強した成果を頼りに人生が終わるまで生きていこうと思います。

私にとって2008年8月8日は私の人生の転機となることを宣言いたします。
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by kanta5988 | 2008-08-09 17:47 | 人生
司法試験を合格した私は、翌年の4月から司法修習が始まりました。

実務修習として神戸に戻ってきたのは夏ぐらい。真夏に弁護修習を受けた記憶があります

翌年秋には実務修習が終わり再び東京湯島での合同での修習が始まろうというころ、私は、自分の行く先を決める必要がありました。裁判官、検事にはなるつもりがなかったので、弁護士しかあとは残りません。しかしどこの事務所に就職するかはまだ決めていませんでした。

何か所か事務所を訪れはしていたのですが、友人に義理でついて行ったのかそんなもの。
しかし、いくらなんでも東京に戻る前に神戸ないし大阪で就職先を決めておかねばなりません。

でも自分から積極的に弁護士事務所をめぐる気もありませんでした。

そんなとき私に一度事務所に来てみないかと誘ってくれたのが〇〇先生でした。

その先生とは一緒に六甲山を上ったり親しくしていましたし、またなんて頭の良い先生だと尊敬していたこともありまして、その先生のもとでなら働いてもよいと思い、事務所に訪れることとしました。

つづく

PS つづくにPSはおかしいですが、事務所訪問に行ってこいつのもとでは絶対働くものかと思った弁護士もいます。
それは大阪の先生で、事務所訪問に行ったあと、さあ、新地に行こうと誘ってくれた先生でした。もちろんアル中の私にとって新地でただ飲みができることは大変うれしいことではありましたが、その先生は馴染みの飲み屋に私たち修習生を連れ込んだとたん、店の女の子のスカートの中に頭をつっこみ〇〇ちゃん〇〇だよ~と言ってじゃれ始めました。そのとたん私は嫌悪感を強く感じ、ここでは絶対働くまいと思ったものです。

つづくのつづく
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by kanta5988 | 2008-08-02 19:13 | 人生
今日は疲れているので簡単に。
こんな日はうつ状態に近くなります。

今日の朝日新聞の素粒子で見つけました。

「河豚喰ふて斗酒飲んで我死なん哉」 露伴

私はまだ死なないけどね。同意したくなります。

次の章である<司法試験を目指して>に関してはもう漠然としたイメージは出来上がっているのですが、その次何をかこうかと考え中です。

まあ奮戦記と名付けたのだから、アル中がどこまで頑張れるかを書くつもりでいますが。

これからも駄文によろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
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by kanta5988 | 2007-12-20 18:49 | 人生
童貞でなくすると言っても、これは一人ではできない。
私と性交渉をもってもよいという女性が必要である。
しかし、わたしは男性ですら付き合いをなくしていた。
女性とつきあうことは、夢のまた夢である。
そこで考えたのは風俗である。ここならお金だけの関係ですむ(親しくなるためにはそれだけではもちろん済まないのであるが)。
そこで情報誌を集め、情報を吟味し、ある風俗(今はソープランドというが、当時はトルコ風呂であった)に、一人で赴き、童貞とおさらばすることとした。
不潔と考える人もいるであろう。しかし童貞でいることはもっと恥ずかしかった。
今日40歳代の男性で童貞と考えられる人は10パーセントもいるらしい。
風俗などに行くことに抵抗がある人もいるのであろう。また都会と違って地方ではその機会すらないのかもしれない。

40歳にもなって初めての経験となるとつらいものがあろう(性的能力は年々衰えるものである)。
それを考えると買春という行為もあながち悪いとは思えない。

もちろん借金のかたにソープに埋められるという行為や、未成年者の売春は絶対的に禁止されるべきであろう。
ただ私の当時の感想としては、知り合った女性はみんな感じよかったし、好きなセックスをしてお金が稼げるのであればそれに越したことはないというものであった。

ただ最近になって、とある弁護士から、自分もそう思っていたが、彼女らと深く付き合うことになって、彼女らの大半が幼年時に何らかの問題があるように思うと聞かさせた。

彼はDV問題などを数多く扱い、表面上は女性の味方という体裁を取っているのに、その自分がソープの女性と付き合っていることなど非常に恥ずかしいことであると顔を赤らめながら私に彼の性的行動を語ってくれたのであるがその彼をして売春に携わる人間には、心のどこかに傷を負っているということであった。

売買春という行為は、どんなに規制してもなくならないであろう。
ロバート・A・ハインラインのメトセラシリーズの中に、「愛に時間を」という3部作があり、そこでは売春をするには、資格が必要であり、世の中から尊敬される存在であるとなっていたはずである。確かに私のように女性に縁がない人間にとって、やさしく接してくれる女性は、看護師のような存在であった。
私のような立場の人間からすれば、いたずらに抑え込むのではなく、女性の人権を尊重したよい形があればと思うのであるが・・・

なおこの文章は、女性からボコボコにされることを覚悟しての文章である。

次回は、買春と自殺ほう助罪の関係についてである。
私はこの事件を扱う途中で連続飲酒となった思い出深い事件である。
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by kanta5988 | 2007-12-12 12:32 | 人生
脱ぎゃいいわけでしょ。
パンツをね。
次回のオフ会で、脱げと言われれば、脱ぎます。

今日の出来事に比べれば、何ともありません。

ショックだったので簡単に書きます。

私は某地方公共団体の某審査会の委員を8年ほど前からしています。
この役職には、私が司法修習をした弁護士事務所の弁護士から頼まれました。

それからまもなく私は連続飲酒発作におちいり、立派なアル中となりました。
ただ審査会は1年に2、3度くらいであり、単なる審査員の立場であれば、その場で思いついたことを、述べれば、足りていました。
だからアル中でも務まっておりました。
これに関しては条例の策定段階から審議がなされておりましたが、そこはそれアル中のこと、いい加減に賛同し、条例の内容については全く無知であります。

以上のような状態であったのに、今日、審査会に行きますと、最初の動議として新委員長の選任となっていました。
私は新たに委員になった大学教授が委員長になるものと思いこんでいましたので安心していたのですが、新委員長の選任ということになって、突如前委員長の他薦ということになりまして、私が委員長へと推薦されてしまいました。
私はもちろん辞退いたしましたが、行政の審査会とか委員会というのは行政が主導権を握っています。出席者全員も、もう決まっていますという雰囲気です。
どうしても断り切れなかった私は、承諾してしまいました。

ああ、私はどうしたらいいのでしょう。これまでは弁護士面していて、いっぱしのことを言うだけだったのです。それが通用しなくなりました。
今日もらった資料は、分厚くて3、4センチくらいあります。これから相手側の反論書が出てきます。
これらを読んで判決もどきの文章を書かなくてはいけないことになりました。

ああ!パンツを脱ぐより恥ずかしい。
自分の才能のなさを人目にさらすことになるのです。
パンツを脱いだら委員長の職責を免れたのであれば私はパンツを脱いでました。

この展開については、守秘義務が二重にかかっておりますので、できる範囲でお知らせします。
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by kanta5988 | 2007-12-10 17:49 | 人生
今日初めて鍼灸院に行って来ました。
右肩から始まった五十肩が左に進行しパソコンさえも打てなくなったからです。
もはやクリームさんの事は笑えません。
お昼に鍼灸院に行き、マッサージと鍼をうたれてきました。
これまではクリームさんの牽引を馬鹿にしてきましたが、自分の肩が動かない事を経験しますと,わらでもすがりたい気持ちになります。

もうこれ以上は限界です。

つつきは明日ということで。
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by kanta5988 | 2007-11-28 22:22 | 人生
指導担当の検事は、私と同い年であった。

彼は若くして司法試験に合格し、司法研修を経て、当時は人気のなかった検察官を目指した。
修習は金沢修習で、金沢の弁護士事務所の事務員の中で2番目に美しい(念のためこれは冗談である)という女性と結婚し、検察庁に入り、順調に出世し、出世コースの一つである修習生指導担当検事になったのである。
私から見ても有能で思いやりがあり今後とも出世確実という人物であった。

私は自分がまともな社会人、それも結構尊敬される社会人になったことについては純粋にうれしかったが、彼を見て、私は、もっと早く司法試験に合格していたら、出世コースにも乗れたかもしれないと思い知らされた。

とある神戸郊外の野球場で野球の試合があったさいであるが、免許はあるものの、酒のため運転はしていなかった私はとぼとぼ球場まで歩いていたときがある。すると後から車で来た指導担当検事に見つけられよう〇〇くん車に乗りなよと声をかけてもらった。
うれしかったが、もう同年輩の彼にはもはや及びもつかないのだと思いで悲しくなったのも事実である。

司法試験に合格したからと言って当然に、裁判官や検察官になれるわけではない。
裁判所ないし検察庁からお声がかかって、どうだうちにきてみないかという勧誘があるわけである。
年配の私には、お声はかからなかった。
ただひとつだけ、検察修習の時に、検察事務官からある時、なあ〇っ〇ー(当時のあだ名)、お前検察官にならないかと言われたことがあった。このとき彼も私と同年齢であったが、俺、〇っ〇ーの下でなら働いてもいいで。と声をかけてくれたのである。嬉しかったが、もはや私の年齢では出世は限られているという思いから申し出を断った。

連続飲酒が始まる前であったので、惜しげもなく断ったのであるが、今から思えが、身分保障のある公務員になっておくべきであったとも思う。
でも当時はまだ逆転のある弁護士に可能性をかけたのである。

それから何年たったであろう。私は弁護士としてもアル中という烙印を押されることになったのである。

もう弁護士としても成功の可能性はないに等しい。
でも弁護士以外に生きてゆくすべも知らない私にとっては、これにしがみついていくしかない。

このブログは、何年も続けていくつもりである。そうして少しでも楽に生きられるようになっていればと、今は祈るしかない。

第一回閑話休題はここにて終了。
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by kanta5988 | 2007-11-16 16:49 | 人生
私が司法試験に合格した時代は、試験合格後、2年間の司法修習を受けなければならなかった。
2年間の前半4ヶ月が、東京湯島にある最高裁判所司法研修所にて、座学にての勉学、その後全国各地の裁判所に分散されて、それぞれ4ヶ月づつ、民事裁判、刑事裁判、検事、弁護士の実務修習があった。
1年4ヶ月の実務修習をおえて再び司法研修所にて、まとめの学習、そして最後に一般的に2回試験と呼ばれる(2回目というのは、司法試験が一度目で実務家になるためのもう一度の試験という意味で2回試験と呼ばれている)試験を受けてそれに合格すれば一人前であった。
私が司法修習生時代であった頃はまた改めて語ることとなるであろうが、今日は、別の観点から当時の私について話してみようと思う。
私は、神戸に配転されたが、神戸での修習は、弁護、民栽、刑栽、検事の順であった。
弁護修習は各弁護士事務所に2名づつ、裁判修習は、各部に3名づつ、そして検察修習は、大部屋で9名で修習である。2回試験において最も勉強量を要するのが民栽であるから実務修習の最後が民栽であることが望ましく、検察修習は大勢の仲間と一緒にいられるので、みんなが仲良くなるには一番の機会であった。だから検察修習が最初であるのが望ましかった。
それが私の場合、弁護の次に民栽があり、最後が検察修習であった。
多少不利な割り振りである。
それでも検察修習は楽しかった。修習生室は法務合同庁舎の3階にあり、その隣に修習指導担当検事の部屋があった。担当検事の部屋の冷蔵庫にはビールがふんだんに置かれており、その隣のロッカーにはおつまみの乾き物が多量に置かれていた。
それで私は、猛烈に働き、午後5時には仕事を終わらせるようにして、5時と同時にビールの栓をあけ、一杯飲み始め、同期の仲間の仕事をひやかしていたのである。
6,7時になるとみんなそれぞれ割り当ての仕事を終え、指導担当検事の部屋に集まって、ビールを飲むこととなる。当然その頃にはおなかがすくので近くの中華料理屋からおつまみの出前を取る。それらすべては指導担当検事のおごりであった。
ちなみに裁判官室には冷蔵庫などない。当然仕事が終わったからと言ってビールなど飲めない。それに裁判官は付き合いが悪い。仕事帰りにおごってくれることなどまず全くないと言って良い。
それに対して検察庁はおおらかである。検事室には冷蔵庫が置いてあることがあり、ビールくらいは飲めるのである。

そうそうここで話したいのは、そんなことではない。
それは修習指導担当検事と私との比較のことである。
私は、1浪し、大学も7年かかって卒業し、そのあともプータローないしはニートとしてすごし、やっとのことで司法試験に受かった人間である。
司法試験に受かり、司法研修所から給料をもらい、一般の社会人と呼べるようになったのは、すでに30歳を超えていたのである。

ここまで私を堕落させたのはもちろんアルコールである。
でもまだ修習時代には私には自分にアルコール問題があるとは分かっていなかった。
ただ、同世代に比べて極めて出遅れたのは事実である。
それを思い知らされたのは検察修習が初めである。
つづく
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by kanta5988 | 2007-11-15 14:02 | 人生
スペルボーン(Spellborn)