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痴漢の事件は、この間、罰金20万円で方がついた。報酬もわずかながらいたたきました。

今残っているのは残っていうのは強盗致傷である、恐喝や強盗の余罪がたくさんあり、そろそろ調書を上げて、本格的に取りこまなければならない。7件ぐらいの追起訴があるらしいので、調書の謄写作業が大変である。弁護士会の謄写室で謄写を依頼するが、1枚40円かかる。
段ボール一杯の資料の謄写代だけで結構するであろうなあ。

もちろん謄写代は実費として依頼者に請求するが、読んで、全体像を把握するのが大変である。あーあーこれからが本番である。

まず実刑の事案であるが万が一執行猶予をが取れればたっぷりと報酬請求できるのだが、とらぬ狸の皮残用は止めて、仕事に精を出そう。
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by kanta5988 | 2008-03-31 00:11 | 仕事
前回話したように、私の司法試験の4度も目のチャレンジは、不眠、離脱症状、猛暑での受験といったといった最悪の条件下の受験であったが、試験そのものは、それほど悪い答案を書いたつもりではなかった、それに、もはや4回目の受験ではないか、もうそろそろ合格してもよいのではないかと思いが強かった。
前回は論文式試験を受けられただけでも幸せで、結果はそれほど気にはならなかったが、今回は、合格したいという思いがあった。
もうプータローの生活を切り上げたかったのである。

しかし、10月初めころであろうか(時期はもう忘れました)に法務省に試験発表を見に行ったのであるが、私の名前は、掲示されていなかった。
3度目とは違い4度目の試験失敗はかなりのショックであった。
地下鉄に向かう途中の公衆電話で、実家に落ちたことを連絡し、地下鉄に乗った、何線かは忘れてしまったが駅名は桜田門であった。

ここで何を勘違いしたのか、家へと帰るのとは反対側の車両に乗り込んでしまった。
乗り込んでしばらくして列車が反対側に進んでいることに気づいた。私は茫然とした気持ちで、電車を乗り直し、自宅へと向かった。

しばらくは家で茫然としていたのであるが、考えてもしょうがない、もう1年頑張るしかないのである。そこで私は、ビールを買いに行き、ビールをたっぷり飲んでから寝付くことにした。

ちなみに私は5回目の受験も失敗した。このときもいやいや実家に不合格の事実を告げたのち、地下鉄に乗ることとなった。このとき前年は乗る列車を間違えたのだから今年は間違えないように注意しようと思っていた。が、しかし、しかしである、注意していたつもりであったのに反対側の列車に乗り込んでしまっていた。それに気づいた時の感覚というのは何とも言えないものがあった。私はよほど変な顔をしていたのだろう。周りの乗客が、私の顔をじろじろと見ていたのを思い出す。それほど私は動揺していたのだろう。

受験4回目の失敗から私は試験に合格しなかったらどうしようと考えるようになっていった。

しかしビールは寝るまで飲んでいたし、ビールを飲んでいるときは、SFか推理小説を読むか、ファミコンをするという生活を続けていた。

今から考えると全くの阿保である。
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午前中はとある地方公共団体で、とある事項についての審査会の委員長として当該審議にかかわってきました。

細かいことは関係者に見られるとすぐ特定できますのでここでは書けません。

言いたいのは私が審査会の委員長という立場で審判書を書かねばいけないということです。

しかし私はこれまで手を抜いていて、細かいことは把握してません。

今後どうしようかと悩んでいます。

審査会の委員になった時は、もう連続飲酒を経験した後だったと思います。

受けなければよかったのにといまさらながらに悔やまれます。

何のことか、読んでる方には分りませんよね。
でも私が今一番気になるのはこのことなんです。
単なる愚痴です。気にしないでください。

午後はレーシックの1週間目の検診でした。

レーシックにより私は眼鏡要らずの生活が始まりました。

ただ不満は私が使い捨てのコンタクトレンズを使っていた時よりも、視界がぼけていることです。
今日の検査では、両眼とも1,2は出ているということです。コンタクトでは1,5出ていましたからその差が気になるのでしょうか。
ただ遠近両用のコンタクトと比べると同じくらいの見え方です。
その点でレーシックの方が便利です(近場もまだ何とか見えますし)。

まあ結局よかったのだと思います。
元の眼鏡とコンタクトの生活に戻れと言われればもう嫌ですから。

レーシックを行うかどうかと迷われている方にはゴーですね。
特にコンタクトレンズをご使用の方、お勧めです。

私は中一から眼鏡をつけ始め、18歳ころにはハードコンタクトレンズを初めてつけ、その後、ソフトコンタクトレンズ、眼鏡とコンタクトの混用、一日使いすれレンズ、2週間使い捨てレンズ、最後には遠近両用コンタクトレンズをつけ、眼の矯正に苦労してきました

コンタクトレンズは付けたり外したりは大変ですよね。一日で使い捨てならレンズを洗浄する必要はなくなりますが、眼鏡が要らなくなるわけではない。2週間の使い捨てなら2週間付け続けなくてはならず、目がいじいじしてはずしたいと思っても外せない。

また私の個人的経験・感想なのですが、いったんコンタクトをつけて人に会う習慣がつくと眼鏡をしてあうことが恥ずかしくなる。また反対に眼鏡だけで過ごす期間が長くなると、今度はコンタクトをつけているのが何となく恥ずかしくなる。人も気にするみたいです。私は司法試験浪人時代は眼鏡をつけることが多かったのですが、当時付き合っていた彼女と一緒に水泳に行ったりして裸眼になると彼女は私は眼鏡の方がいいといいました。
反対に結婚の時は、もはや連続飲酒状態でで使い捨てコンタクトレンズを買いに行く余裕もなかったので眼鏡で結婚式を挙げようとしたのですが、元妻は私の眼鏡姿が不満で、結婚式の当日、眼鏡をはずさされました。それでで婚姻の誓いはぼけていてはっきりとは読み上げられなかった経験があります(だから即離婚したのか・・・)。

私のように48歳になり老眼になってしまった者は、いずれ老眼用の眼鏡が必要なのでしょうが、20代、30代の人であればレーシックの効果を満喫できると思います。

コンタクトの方、みんなと一緒に旅行に行った時もこそこそとレンズを装着しなければならなかったでしょう。使い捨てでなければレンズの洗浄保存作業が不可欠だったと思います。

ともかく眼鏡をワンセットで持ち歩かなければならなかった。

それがなくなるのです。

眼鏡の人も海水浴水泳では、水の中に潜れなかったはずです。
フィットネスクラブでも若いお姉ちゃんは見放題ですよ。
ゴーグルの中に水が入ってコンタクトが取れる心配もない。
私は一度反対方向から泳いでいた人とぶつかってコンタクトレンズが外れたことがあるます。
幸い、その時は、落ち付いて探すと頬の上にのっていましたので、レンズ自体はなくすことはありませんでしたが、真水につけるとレンズのそりかげんが変わりますから、一度生理食塩水か、コンタクト用の洗浄液につける必要がありました。

とにもかくにも朝、そのままで室内がはっきり見渡せるこれだけで危険を犯す価値はあります。
これは買いですよ。買い。費用が気になりますが、若い人なら十分元が取れると思います。
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by kanta5988 | 2008-03-26 19:31 | 雑談
コメントをするのに疲れるくらい盛り上がりましたね。

今日はちょっとお休みです。

盛り上がったのは、自助グループに所属していない人が、ブログを書いているのは、少ないからかな。
クリームさんのブログはいつもコメントが多いですしね。

私の本意は自助グループ批判ではないですからね。

あくまで断酒の多様性を主張したかったのみです。

気に障った方ごめんなさい。
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by kanta5988 | 2008-03-24 22:02 | 雑談
このブログでリンクしてある方が、その方のブログで、

>10年間の酒を飲まない生活。。そりゃ~大きく変わりました。
>上手く言えませんが、今から10年前より10の10乗倍。今から5年前より5の5乗倍。
>そんなレベルで変化したと、自分なりにつくづく感じます。

>このブログでも、これから少しばかり、アル症に対して思うことや、酒をやめる為には
>欠かせないと言われている自助グループに対して感じることや、断酒に対して考えて
>いることなど、自分なりの忌憚の無い意見なんかも書いていこうかなぁなんて思って
>おります。
>で、適度に書いたら、アル症界からは「バイバ~~イ」って気持ちでおります。

と書いておられました(無断引用ごめんなさい)。

反面、自分が自助グループを辞めるときは再飲酒されるときと書かれている方もおられます。

私はどちらかと言えば、いづれアル症界ともバイバ~~イという気持ちの方の方が好みです。

私自身はまだ酒からのとらわれから解き離れた状態ではありません。

ただ私の禁煙体験から、酒は私にとってあってもなくてもどちらでもよい存在に変わってゆくのだろうと考えています。
煙草をやめたのは13年以上前です。吸っていたのは15年近くになります。
煙草をやめたいと思って、実際に止めるまでは正確には分りませんが3年近くかかりました。

それで、今は、煙草のことは考えることさえなくなっています。
今でもたまに(一年に一度あるかないか程度)吸ったりもしますが、後が続きません。
もう吸いたいとは思わないのです。

酒もこんなものだと思っています。いずれほとんど意識すらしなくなるでしょう。

飲んでもいいし、飲まなくてもいい。そういう状態になるのではないかと思っています。

もちろんこんな見解は、他のアルコール依存症者ないしはアルコール専門家からは受け入れられないでしょう。

でも私はそう思っています。

5年後か10年後、結果が分かるでしょう
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by kanta5988 | 2008-03-22 19:23 | 雑談
レーシックの手術後、1週間は寝ている間に目をこすったりしないよう、プラスチック製の保護カバーのようなものをばんそうこうで目に張り付けて眠るのであるが、今朝、目が覚めた時は、カバーが両眼とも外れていた。でも天井等がクリアに見えており、異常はないようであった。

近視が長い人でないと分らないであろうが、朝、目をあけると部屋全体がはっきりと見えるのは爽快である。今までは、まずメガネを探して、眼鏡をかけ、顔を洗ってコンタクトレンズをはめるという手順が不可欠であった。

メガネをどこに置いたかを探す必要もなく、洗面所でコンタクトレンズを装着する必要もないという爽快感は、この煩わしさを長年経験したものでないと分からないであろう。
うーん、快適である。

視力の方はそれほど出ていないようである。両眼で1,0程度であろうか。やや物足りないが、老眼のことを考えるとこの程度の方がいいのかもしれない。

遠近両方ともすっきりとはいかないが、文字を読むには不自由しない程度である。

話は変わって痴漢の方であるが、拘留明けと同時に略式裁判になり罰金20万円で釈放となりそうである。

私は、これはこれで良さそうであると思うが、被疑者の奥さんは、何とか起訴猶予に持ち込みたいという意向である。幸いなことに、被害者は、連絡先を教えてくれた。ただ私が被害者に連絡できる日時というのが、拘留が明ける前日という話である。

私としては依頼者の意向が一番であるので、指定された日時に、被害弁償の話をする予定となっている。

被害弁償額であるが罰金よりもやや高額の金員の提示をすることで加害者の奥さんと話がついてある。

被害弁償をしても、起訴されるかもしれないが、私としては罰金としてお金を払うくらいなら被害者に直接お金を渡した方がいいと思っている。被害者の方も被害弁償を受けることを望んでくれればいいが、これは話をしてみないと分からない。ただ弁護士に連絡先を教えたということは、その方向で動く目がまだ残っているということである。

ただどの道、金額は上下するが私への若干の報酬は確保できそうである。
ありがたいことである。

しかし私は明日も仕事である。それもお金になりそうもない事件ばかりである。
ああ、天井から金がばらばらと落ちてこないかなあ。

お金のことになるとぼやいてしまうなあ。
アル中でさんざん仕事と信用を失ってきたのだからしょうがないと言えばしょうがないのですが、ついぼやきが出ます。
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by kanta5988 | 2008-03-21 17:12 | 仕事
受けてきました。

まだ目がしょぼしょぼして涙があふれ、長期間パソコンには向かっていられません。

また今日中に迷惑防止条例違反被疑事件の被疑者から弁護人選任届を取りに行かねばなりません。

目が落ち着くのを待って警察署に行ってきます。

でもすごいです。両眼で10分足らずの施術で、眼鏡なしに見えています。
老眼の方もそれほど心配する必要はなさそうです。
メガネと同じくらいの見え方です。

続きは夜に。

つづき

眼のしょぼしょぼ感はなくなりました。

でも視力は思ったほど出ていないようです。車のライトが滲みますから乱視が治っていないようです。

ただ視力が安定するのは、2、3ヶ月後ということですから、今日のところはこんなものかもしれません。あまり視力がよくなって老眼ということになってもも困りますし、今日のところは様子見です。

手術を受ける年齢層ですが、コンタクトレンズ店より、年配の方が多いようです。
高校生と思われる方もいましたが、30代からの方が多いのではないかという印象です。
私は高齢の部類でしょう。たぶん。

レーシックは明日も検診があります。
その後の様子についてはまた報告します。
今のところはもう少し視力が出てもいいかなという感じです。
ただパソコンの入力には支障ないです。

痴漢の被疑者とは面会してきました。
警察段階の取り調べは山を超えたようです。
務めている会社の方も上司の方がかばってくれているようです。
10日間の拘留で済めば会社を首にならずとも済むかもしれません。

まあこれは弁護人の意見でして、痴漢の被害にあわれた女性の方は別の意見をお持ちかもしれませんが、ただ私の仕事は、罪の追求ではないので、そういったことはいたしません。それは警察、検察の仕事です。

話は最初に。
私の角膜は一部を残して切り裂かれています。
痛みはないのですが、強い衝撃を受ければ角膜が取れる心配もあります。
心配は心配ですが手術を受けた以上、リスクは覚悟の上です。

それぞれの事件にについてはまたご報告いたします。
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by kanta5988 | 2008-03-19 15:03 | 雑談
今日は痴漢行為をしたということで、某警察に逮捕され、拘留10日が決まった男性の接見に某警察まで行ってきました。
酔っ払って、某所で、女性の胸を触り、その女性の110番通報で、逮捕されたということです。

拘留容疑は迷惑防止条例違反ということで、強制わいせつはなく、余罪もなさそうなので、刑務所に行くことはまず考えられないでしょう。

でも拘留されてしまったのであと10日か20日は警察の代用監獄の中です。
会社には行けません。
奥さんがとりあえず言い訳を考えるということでしたが、本人が連絡を取ることはできないので、会社を首になる可能性も大です。本人はもう諦めていると言っていました。

最近はえん罪の痴漢事件で逮捕されたということも聞きます。
本件はえん罪ではないのですが、男性の方、くれぐれもご注意願います。

逮捕された方は即座にかんた弁護士に連絡を・・・

って、かんたでは、連絡を取りようもないか。

私は痴漢をしたこともなく、痴漢を疑われる状況になったこともないのですが、満員電車の中で立ち寝をしている女性にもたれかかれてうれしいやら困ったやらどうしようもない状況になったことはあります。そこから逃げたくても、あまりに込み合っていて身動きがとれませんでした。

ともかく男性諸君、満員電車内等ではご注意を。
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by kanta5988 | 2008-03-17 22:26 | 仕事
試験直前にアル中がしてはならないこと、それは『禁酒』です。

私は、何度も申してきたように19歳から途切れることなくアルコールを酔い潰れるまで飲んで寝ていました。

でも司法試験4度目となると今年こそという思いが強くなったのでしょう。

試験の間だけでもビールを飲むのを止そうと考えたのです。

そこで試験第一日目の前夜、ビールを飲まずに最後の復習を行い、眠ろうとしたのです。
でもアル中が酒をやめた第一日目はまともな睡眠がとれないことは常識です。
でも私は当時自分がアル中であるとは思っていませんでしたし、酒を飲まずに寝るとどうなるかも知りませんでした。

ただでさえ試験の前日というのは緊張するものです。

それをアル中の私が酒なしに寝ようとしたのです。
もちろん寝れるわけはありません。
結局一睡もしないまま朝を迎えてしまいました。

眠れなかったからと言って試験を休むわけにはいきません。
かばん二つにノートをいっぱいに詰め込んで、私は試験会場へと向かいました。

しかし試験会場は、朝から、蒸すような暑さです。
そこで全く寝ておらずかつアルコールが抜けてきつつある私が試験に望むことは過酷の限りでありました。
試験用紙には、顔から滴る汗が垂れ、書いた文字をにじませます。
汗をかいたのは試験会場が暑かったせいもあるでしょうが、離脱症状もあったかもしれません。
ともかく必死の思いで問題に立ち向かったのを覚えています。

最初の試験を終え、お昼を迎えた私は、早稲田のキャンパス内にあるベンチに倒れ込むように寝転がり、神様に誓いました。
「神様、もうビールを飲まずに試験を受けようというような無謀なことはいたしません。だからなんとか合格させてください」
このときは本当に真剣にそう思いました。

午後、残り2つの科目の試験を終えた後、私は、必死の思いで家にたどり着き、ビールを飲みました。
もちろん翌日の試験の準備はしなければなりません。そこでしっかりとビールを飲みながら私は試験の準備を始めました。翌日は2科目だけだったと思うのですが、ノートをパラパラと見返した後(ノートの量が膨大でそれくらいしかできません)、復習をしながらたっぷりとビールを飲み、私は翌日へと控えました。

4度目の試験は、一日目こそは体調的には最悪でしたが、できはそう悪くはないと思いました。
だから今度こそはという、思いは私は持っていたと思います。

そこで法務省に論文試験の発表を見に行ったときは、3度目と違って、かなり期待して見に行ったと思います。

つづく
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さてメインの司法試験を目指しての続きである。

前回は、3度目の試験を受けたところまで書いた。

3度目にして私は、司法試験が何となく自分が狙える範囲のターゲットであると思うようになった。

短答式試験も自信を持てたし、論文式試験も捉えられる実力が自分にあることがわかった。

それもこれも人との交流を司法試験予備校のゼミに入ったことから得られた成果である。

そのころから私はある程度落ち着いた生活をするようになった。
ただ怠け者のアル中である私は、勉強をする時間が限られていた。
予備校の答案練習会に合わせて、答錬の範囲を勉強し、その結果をノートに書き写すという作業だけであり、答案練習会が終わった後、返却させた前回の答錬の内容を、仲間同士で検討した後は、馬場の飲み屋に直行していた。
馬場でさんざん飲んだのちは、友人の友達が経営している中野のスナックに行き、そこでさらに飲んだ。ただカラオケだけは不得意であったので、ほとんどうたうことがなく、友人たちが歌うのを聞いていただけであった。

中野から帰るのは午前4時ころであり、タクシーで馬場に帰るというぜいたくなプータロー生活を送っていた。

それでも、成績は順調に伸びていたし、もう私は一人ぽっちではなかったし、適度に勉強して後は仲間と遊んで飲んでさえいれば、幸せな私であった。

そうこうしているうちに4度目の試験を受けることとなった、短答式は絶対の自信があったし、論文式試験もそれなりの自信を持てるようになっていた。
だから今度こそ論文式試験を合格して口述式試験まで行き、合格できるような気がしていたのである。

短答は勿論、問題なく通った。次は論文式試験である。7月後半位か8月初め位にあったこの試験は猛暑との戦いである。
試験は受験地で差があってはならないということからエアコンはなしの試験であった。
それなら北海道で受験した方が有利ではないかと思うのであるが、受験地を北海道にする気ににまではなれなかった。
そこで当時東京に住んでいた私は、早稲田大学本校のキャンパスの中で、毎回論文式試験を受験していたのである。
住んでいたのは高田馬場であるから、早稲田のキャンパスまでは、早稲田通りを歩いて行けはいける。そこで毎回、それまで作成したノートを山のようにかばんに詰め込んで歩いて早稲田大学まで受験に行っていたのである。

確か4度目の試験であったのであるが私は論文試験1日目の前夜アル中としては考えてはならないことを考えてしまった。

つづく
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スペルボーン(Spellborn)