岡山時代
小学校3年生までは大阪市にいた私であるが、小学校4年生の時、父親の仕事の都合で岡山市引越しすることになった。私が東住吉区にいた時代も、私の家から少し離れると田圃、畑が広がっていたが、岡山市はあたり一面、稲とイグサの田んぼだった。
家は、横向きに並んだ一軒家が5,6軒並んでおりその奥に駐車場があった。
東住吉区では、犬が殺されたこともあり、それ以降、犬を飼ってもらえなかったが、岡山となると話は別である。それぞれの家の間は小さいながらも庭となっており、そのスペースに犬を飼うことができた。
そこで私は犬を飼いたいと父親に頼んだ。父親が連れて帰ってきたのは秋田犬の子犬であった。
我が家で初めての血統書つきである。血統書を見ると〇〇姫、〇〇丸とお姫様かお殿様の名前のような名前が並んでいたが、我が家の愛犬のところには次郎とあるだけである。そう名前は次郎と名づけた。血統書上だけを見るを明らかに名前が貧弱であることが小学生である私にもわかった。
ちょっと悲しかったが、次郎はいい子であった。
散歩には連れて行ったであろうが、どこをどう通ったのかは覚えていない。
ただ周りは一面田んぼだらけである。散歩道には苦労しなかったはずである。
次郎について覚えているのは2点だけ、それ以外は記憶にない。よほど岡山での友達と遊ぶのが楽しかったのであろう。
その一つは給食で出されたレーズンパンからレーズン部分を取って、次郎にあげていたことである。私は当時、レーズン味は好きだったのであるが、レーズンそのものは嫌いだったのである。なぜ嫌いになったかは後日母親から話を聞かされて分かった。それは私が幼少のころレーズンを一袋食べてしまい、おなかが痛くなって、レーズンを食べたことを散々怒られたことにあるらしい。怒られたことをすっかり忘れてしまった私は、レーズン味は好きでも、レーズンそのものは嫌いになってしまったらしい。そこでレーズンパンが給食に出るとパンを持ち帰って、レーズン部分のみ次郎にやり、その他の部分を食べていたのである。
あともう1点、次郎について覚えているのは、彼が極度な車嫌いであったことだ。
車に乗せるともう大変、はぁはぁと息をつき、口からはよだれがたら~と流れ落ちるのだ。
だから車はしばらくすると彼の唾液だらけになる。
(つづく)箕面編
家は、横向きに並んだ一軒家が5,6軒並んでおりその奥に駐車場があった。
東住吉区では、犬が殺されたこともあり、それ以降、犬を飼ってもらえなかったが、岡山となると話は別である。それぞれの家の間は小さいながらも庭となっており、そのスペースに犬を飼うことができた。
そこで私は犬を飼いたいと父親に頼んだ。父親が連れて帰ってきたのは秋田犬の子犬であった。
我が家で初めての血統書つきである。血統書を見ると〇〇姫、〇〇丸とお姫様かお殿様の名前のような名前が並んでいたが、我が家の愛犬のところには次郎とあるだけである。そう名前は次郎と名づけた。血統書上だけを見るを明らかに名前が貧弱であることが小学生である私にもわかった。
ちょっと悲しかったが、次郎はいい子であった。
散歩には連れて行ったであろうが、どこをどう通ったのかは覚えていない。
ただ周りは一面田んぼだらけである。散歩道には苦労しなかったはずである。
次郎について覚えているのは2点だけ、それ以外は記憶にない。よほど岡山での友達と遊ぶのが楽しかったのであろう。
その一つは給食で出されたレーズンパンからレーズン部分を取って、次郎にあげていたことである。私は当時、レーズン味は好きだったのであるが、レーズンそのものは嫌いだったのである。なぜ嫌いになったかは後日母親から話を聞かされて分かった。それは私が幼少のころレーズンを一袋食べてしまい、おなかが痛くなって、レーズンを食べたことを散々怒られたことにあるらしい。怒られたことをすっかり忘れてしまった私は、レーズン味は好きでも、レーズンそのものは嫌いになってしまったらしい。そこでレーズンパンが給食に出るとパンを持ち帰って、レーズン部分のみ次郎にやり、その他の部分を食べていたのである。
あともう1点、次郎について覚えているのは、彼が極度な車嫌いであったことだ。
車に乗せるともう大変、はぁはぁと息をつき、口からはよだれがたら~と流れ落ちるのだ。
だから車はしばらくすると彼の唾液だらけになる。
(つづく)箕面編
by kanta5988
| 2009-03-25 16:56
| 犬