アルコール依存症に向けて(12)

明け方まで酒を飲んで、昼間は学校に行かなくなった私ではあるが、退学したくはなかった。

ところで慶應では、1学年2年までの決まりがあった、全部で4学年であるから、裏表返したところで、最大8年在学できることになる。それにしても1年留学すれば角番大関になったような気分であり、1年で習得すべき単位は、2年目には全部習得すべきこととなった。

今となってはよくわからないが、その年に習得すべき単位に関しては授業に出た。
1年目で友人を失ってしまっていた私にとっては、自分で習得すべき単位の授業は自分で出てノートを取らなければいけなかったのである。

一学年の表目はさぼり、裏目では、必死になって授業に出るような生活が出来上がったのである。

問題は、必須単位科目である、英語、体育、第二外国語であるドイツ語には、そうした縛りはなかった。
ただクラスごとの出席であったので、友人のいなくなってしまった私にはいばらの道を踏むような出席であった。

体育では、出席日数では足りないのではないかと思って最後の授業に行ったところ、わずかな人を除いて合格ですと言われたが、わたしはわずかな人に入っていたようである。それほど出席日数が足りなかったのである。これは悔しかった。

ドイツ語では、毎年同じ授業担当の教授が私の横にきて、しみじみとした口調で、君はやればできるのになあ。出席日数がなあ。とつぶやいたものである。私はいざ試験となると真剣に勉強するので、それなりの点数をとれていたはずであるが、出席日数が足りないのはどうしようもなかったのである。

英語もそうであった、まったく知らない人ばかりの授業に入って、一年間耐えた。教授は朝鮮半島研究であった小此木政夫教授であったような気がする。私以上に、何年も大学にいる学生が1年生の授業に出るということに対して気にしていたような気がする。

つづく
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スペルボーン(Spellborn)